bgcolor="#797979" background="http://templates.blog.fc2.com/template/hiphop/bg.gif">






プロフィール

鷹山あきら

Author:鷹山あきら
旧自立支援法の介護屋でした。重度知的障害者の方への、地域日常生活支援をしておりました。

本人は先天性心疾患があり、近年、急変。
先天性大動脈弁膜症・弁閉鎖不全・弁狭窄・二尖弁の悪化で、2010年7月に人工弁置換済み。最重度の身体障害者になりました。

ずっと障害者総合支援法の介護屋を続けたいと思いましたが、不能になりました。

妻は精神障害者で、寝たきりに近い状態です。
様々な支援者の方に助けられ、私たち夫婦は何とか生活しています。

2014年1月、やむなく(障害年金だけで生活は出来ません。フルタイムでは私は働くことが不能になりました。)病院の看護助手のパートに切り替えました。2015年1月、老健の通所に切り替え、2016年3月、老健も不能になり、仕事探しに苦慮しています。障害者って、使いにくいのですかね。どこも1年ほどでお役御免になってしまいます。


日々こもごも。色々な雑談を。

LOVEROGからの引越しです。(妻は元SEなのです)



最新記事



カレンダー

02 | 2020/03 | 04
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -



カテゴリ



リンク

このブログをリンクに追加する



QRコード

QR



義父が他界しました。
様子が怪しくなって、あれこれやっていた矢先、24日日曜日に義父はケアハウスの隣の病院で静かに他界しました。満95歳になったばかりでした。

心不全がひどかったので、死因は一応心不全。
生きている人の心臓じゃなかった。
私、9月か10月に、一度義父がやっぱり入院している時に、義父の病状説明を聞きに行っていて、その時医師から見せてもらったレントゲンは、もう肥大が進んでいてどうにもならない状態でした。「良く生きているな」と思いました。

気力・体力の問題のような感じでした。

しかし、その入院から戻ってきて、ほんのしばらくは元気だったのです。

途中で熱を出し、その辺りから怪しくなりました。
年明け早々に色々説得に行こうと計画していて、次に入れようと思っていた施設を24日は見学に行っていました。

見学先は、ここから高速道路を使って、2時間半。
現地に着く寸前にケアハウスから電話があって、入院したと聞きました。

今回は嫌な予感がしたので、取って返して帰宅したのですが、片道2時間半ですから、帰宅したら、もう夕方。

自宅の留守番電話に病院の看護師さんからの伝言と、折り返し電話が欲しいと言う事が入っていて、すぐ電話して。
説明してくれて、脈が触れない時があるとか、意識朦朧の状態だとか教えてもらって、SPO2を聞いたら、68。最大で取れた血圧聞いたら、88/46。

これは月曜日25日の朝までもつかもたないか誰にも分かりません。
私は深夜に他界するな と思った。

ケアハウスから電話が来た時点では、25日月曜日の朝一番で行くと答えておきましたが、間に合わない。
家内がネットで調べてくれたら、その近くの駅に行く最終の電車に何とか間に合う事が分かりました。
その駅は路線の途中で、その駅どまりが最終電車。
途中まで特急電車で行って、乗り換えて各駅停車で2時間行くと、終点としてその駅に着きます。
着いて23時半くらいの電車です。

慌てて支度をしていると、病院さんから又電話があり、家内が取ったのですが、亡くなりましたと言う事でした。

もう間に合わないのだけれど。
私、カトリックですが、実家は普通の仏教で葬式をやっていて、亡くなった人を一人にしておくわけにはいくまいと思った。
なので、通夜を一人でするつもりで行きました。

行ったは良いのですが、各駅停車の単線で、特急は乗換駅に21時過ぎに着いたのですけれど、22時前の各駅停車が微妙に遅れる。行き違いがあるのです。単線なので。だから行き違いのたびに少しずつ遅れる。この路線の各駅停車は常習的に遅れるのだそうです。
普段は特急に乗っていますので、特急は遅れない。
各駅停車は常習的に遅れる。

半分過ぎたころから、3両編成の各駅停車の乗客は、私一人になりました。
終点になる駅にどうしていくかというと、車庫があるからです。
そこまで夜中に行く酔狂な奴はめったにいない。
乗務員さんと仲良くなりました。

と、私は2両目にいたのですが、3両目に待機していた車掌さんが「あ!」とか言う。
「緊急停車します。気を付けて」とかも言う。

「???」

すぐ運転手さんからのアナウンスが入って
「シカが衝突しましたので、緊急停車します。」

シカね。イノシシも多いそうです。今の季節。

止まって
安全確認して
シカの撤去作業して

30分は動かない。
一回動物が突っ込んでくると、そういうものらしいです。
シカ、3両目に衝突していますから、轢いたわけではない。
シカが好きで突っ込んできた。
しょうがないです。

終点になるその駅に着いたら、0時半でした。23時半には着くはずだったのに。
0時半は良いのですが、タクシーがいない。
田舎だから当たり前かと思って、駅員さんに聞くと、もごもご言う。
田舎は終電と共にタクシーの営業は終了するそうで(翌日来たいとこさんに教えてもらいました。)ともかく0時で営業終了。電話にも出ません。

どうしましょう。

どうしましょうって、歩くしかないので、駅員さんにうろ覚えの道を大体教えてもらって、途中に工事現場があって、交通整理員の方がいたので、その方にも聞いて、途中にあるローソンを目印に歩きました。汗だくで。眼鏡なんかかけていられないから、私、かなり目が悪いので、道路が見えない。

やっとのことで病院にたどり着き、夜間入り口から入って、エレベーターで3階の義父の居る病室に行こうと思ったら。
夜間はエレベーターは停止している。
3階って、てっぺんなんです。
仕方ないから柵のしてあるところ、みんな避けながら階段上って、何とか病棟にたどり着きました。

夜勤の看護師さんに引継ぎしておいてもらったので、スムースに義父の病室に入れて、一息ついたら、夜勤の医師の方がやってきた。
死亡診断書ももっていて、家族説明をして、書類にサインが欲しいと言う。

それはね。まずいのです。
私は婿の立場ですから、朝になれば血のつながった子供たちがきます。
義姉、義兄、家内の3人きょうだいです。
義兄が長男ね。
義兄が説明聞いて、色々サインしてでないと後で厄介なことになります。
その旨説明して、サインなどは待ってもらいました。

少し義父と寝ましたよ。
私、もう汗だくで、自宅でシャワーは浴びてきたけれど、そのままでは寝られない。
肌着のシャツを換えて、上に来ていたフリース(これも汗でびしょびしょ)脱いで、簡易ベッド風な椅子を並べた場所で少し眠りました。

5時になり、6時になり。

看護師さんに声をかけると、「家族は何時に来るか」聞かれました。多分、一番早いのが家内で、9時半くらい。
その時間に着く特急の始発があるんです。
「病室で9時半迄いてもらうのは難しい」と言います。
そうですね。
他の患者さん起きてきますから、その中、霊安室に移動するわけにはいかないね。

「どうぞ作業してください」と伝えて、私はケアハウスに行きました。
ケアハウスは6時から玄関が開きます。
入れてもらって、とにかく寝て。

9時半ころ家内が来て、「いとこさん達来てるよ」というので、いとこ衆とは顔なじみなので挨拶に行きました。
義兄が来て、家族の話が始まりそうになったので、又ゲストルームに引っ込んでひたすら寝ました。ぐっすりは眠れないでしょう?

夜になって、やっと家内が来て、「今夜泊まる筈の駅前のホテルの予約取れなかった。ここに泊めて」とか言うので、慌てて、もう1組布団を敷いて、さて、シーツ類が1人分しかない。
事務所に行って、貰ってきて。

この先は又書きます。
結構せっかちで人騒がせな義父ですが、いい義父でした。
スポンサーサイト





コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック