bgcolor="#797979" background="http://templates.blog.fc2.com/template/hiphop/bg.gif">






プロフィール

鷹山あきら

Author:鷹山あきら
旧自立支援法の介護屋でした。重度知的障害者の方への、地域日常生活支援をしておりました。

本人は先天性心疾患があり、近年、急変。
先天性大動脈弁膜症・弁閉鎖不全・弁狭窄・二尖弁の悪化で、2010年7月に人工弁置換済み。最重度の身体障害者になりました。

ずっと障害者総合支援法の介護屋を続けたいと思いましたが、不能になりました。

妻は精神障害者で、寝たきりに近い状態です。
様々な支援者の方に助けられ、私たち夫婦は何とか生活しています。

2014年1月、やむなく(障害年金だけで生活は出来ません。フルタイムでは私は働くことが不能になりました。)病院の看護助手のパートに切り替えました。2015年1月、老健の通所に切り替え、2016年3月、老健も不能になり、仕事探しに苦慮しています。障害者って、使いにくいのですかね。どこも1年ほどでお役御免になってしまいます。


日々こもごも。色々な雑談を。

LOVEROGからの引越しです。(妻は元SEなのです)



最新記事



カレンダー

02 | 2020/03 | 04
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -



カテゴリ



リンク

このブログをリンクに追加する



QRコード

QR



氏名の話
現在の氏名の話ではなくて、江戸時代の氏名の話です。

私の父方は、変な存在だったと思われるので、江戸時代の氏の話を、少しかじります。

庶民には、氏はありませんよね。苗字帯刀を許された、等と言うお家にはあったと言います。

ご自分のご先祖を戸籍で遡っていかれると、遡れる限界の戸籍には、江戸時代に生まれた方が、必ず掲載されています。

実は、廃止されて、どこかにデータはあるかもしれませんが、誰も見る事が出来ない、最初の戸籍があるのです。

壬申戸籍、と言います。じんしん戸籍と読みます。干支の様子ですよ。出来た時の。

家単位の戸籍は、戦後、新戸籍になる迄、続きましたが、その前にあった、じんしん戸籍は、非常に差別的な事柄が、平気で掲載されていた為に、闇に葬られたのだそうです。


華族、士族、平民等の身分記載があるのは、勿論ですが、新平民やら、元えた、元ひにん等の記載があるものが、かなりあるそうです。

加えて、壬申戸籍には、甲欄と、乙欄がありました。甲欄は、家長筆頭に、血縁者が、家督相続の順位によって、掲載されていた?その家に住んでいる、血縁者全員が掲載されていたのは、本当ですが、掲載の順番は違ったかな?


乙欄には、誰がいたか、と言うと、下男、下女、使用人、妾、のごとき方々ですね。お妾さんの子供が、跡取りになったら、甲欄に移るのかな?妾は乙欄のままですね。


えた、ひにんと言うのは、士農工商に入らない、人間以下の人、と言う事で、現在も続く部落差別に通じるものです。

江戸に、浅草仙衛門と言った様に記憶していますが、ひにん頭、と言う家系がありました。

大変裕福な家柄ですが、身分は、人間以下、となっていて、その矛盾は、幕府にとっては、時代が豊かになるにつれ、悩みの種だったのかもしれませんね。

江戸城の様々な衛生上のメンテナンスをした、人夫さんにも、えた、ひにんの人はいたのかな?

居住地を指定されて、不浄とされた、皮革加工の仕事を主にしていた、居住地以外には住めない様になっていて、浅草仙衛門の管理の下にいた様です。


人間じゃない、と位置付ける事で、百姓身分の人の不満を解消するための、差別政策ですね。

庶民でも、何かのきっかけで、えた、ひにんに落とされる人は居ました。えた、ひにんになると、ひにん頭の支配下で、宗門人別帳からは、削除ですが。


庶民は、宗門人別帳と言う、どこの寺の檀家か、と言う、現在の戸籍にあたるものに、掲載されています。
そこに掲載されていない、勘当された人は、えた、ひにんにはならず、出身地をつけて、上州無宿、江戸無宿等と呼ばれ、無宿人=在籍する寺がなく、それは親に勘当されて、等と言う様々な事情があったようですね。

引き受け人があれば、引き受け人の管理の下に、宗門人別帳に戻る事もあったとか。

えた、ひにん、に一度なった人、家系は、士農工商の枠には、絶対戻れません。だから、現在も、部落差別が無くならない。居住地制限されていますら、その土地に住まう人は、本人さんの意志や能力等とは無関係に、えた、ひにん、でしたので。

刑場の様々な、人が嫌がる仕事も、えた、ひにんの方々がさせられたと言いますが。


で、宗門人別帳ですが、それは、庶民のものと、武士とでは別々でした。

庶民の宗門人別帳には、氏はありません。

苗字帯刀の家柄の家長は、氏書けたかもしれません。越後屋何衛門、等と言う時の、越後屋、は、氏ではないでしょう?屋号です。

私の先祖は、百姓方々、時折、お役目で、義務を果たす事があり、百姓なのですが、役目中だけは氏があったと言う、奇妙な扱いだったのです。


民俗学に詳しい方々には、私の出身地が判ってしまうかも。それほど特殊な存在でした。


大政奉還があって、その特殊団体のトップは何軒か、士族になったのですが、我が家は一番下っ端でしたから、平民になりました。


江戸時代も、宗門人別帳に、氏を書かせろ、とか、御家人格、と言う扱いが、勤務中は認められていたのですけれど、御家人格の格の文字を取って、正式に、御家人とせよ、とか、いつの時代も、ガタガタしていた様ですよ。



さて。明治になりました。

私の今の氏は、御家人格の勤務があった頃とは、違うらしいのです。

民間医を生業にしていた様子で、子供の頃は、時代劇に出てくる様な、薬や医者道具が、納屋に整理されていました。

総領なんて言いますが、跡取りの家、普通は長男の家を、本家等と言いますね。
私の父親は、長男ですが、家業を継がずに、独立しまして、漢方薬局か、と言うと、違うんですね。植木職の頭でした。

叔父が跡取りになりましたが、祖父の時代迄は、本当の植木職の頭で、敷地の中には、何人もの職人さん方が、家族で住んでいましたっけ。


叔父は言えば三代目?と読めますが、今は公共事業で、道路の並木の手入れとか、公園の樹木の手入れとか、そんな事をしています。


氏が変わったのは、勤務中だけ、氏があった、御家人格の時に、不始末をして?苗字を取り上げられたとか。

明治になって、全員が氏を持つ様になってから付けたのが、今の私の氏です。


一時的でも存在したからか、本家には、同じ立場だった家の方々が、仲間の印に、ある場所にお参りに毎年行くらしく、そのお札みたいなのが、ずらりと並んでいました。


私の様な庶民が方々遡れるのは、壬申戸籍の後に作り直した、現在に続く戸籍だけですからね。


地元に史料館はあるのですが、我が家の様な下っ端の資料は残っていない様に思います。


いつか、人生をゆったり過ごせる頃になったら、資料探しをしてみたいです。


本家は叔父が継ぎ、一人娘の、私の従妹が、今時、婿取りをして、氏を残したので、しばらくは続くでしょう。


長男筋は私が父親の長男ですから、氏は残したいし、子供もいたら良かったのですが、生憎、そういう事にはならず、私で途絶えてしまいますね〜。
スポンサーサイト





コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック