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プロフィール

鷹山あきら

Author:鷹山あきら
旧自立支援法の介護屋でした。重度知的障害者の方への、地域日常生活支援をしておりました。

本人は先天性心疾患があり、近年、急変。
先天性大動脈弁膜症・弁閉鎖不全・弁狭窄・二尖弁の悪化で、2010年7月に人工弁置換済み。最重度の身体障害者になりました。

ずっと障害者総合支援法の介護屋を続けたいと思いましたが、不能になりました。

妻は精神障害者で、寝たきりに近い状態です。
様々な支援者の方に助けられ、私たち夫婦は何とか生活しています。

2014年1月、やむなく(障害年金だけで生活は出来ません。フルタイムでは私は働くことが不能になりました。)病院の看護助手のパートに切り替えました。2015年1月、老健の通所に切り替え、2016年3月、老健も不能になり、仕事探しに苦慮しています。障害者って、使いにくいのですかね。どこも1年ほどでお役御免になってしまいます。


日々こもごも。色々な雑談を。

LOVEROGからの引越しです。(妻は元SEなのです)



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不思議な事 歌舞伎アクセス
検索ワードを、さっき、ちょっと見たら。

27日のアクセスに、『中村小山三』キーワードが、山ほど来ておりまして。
なんででしょう?

勘三郎さんのひいきなのは、公言しましたし、日記も書いたし、リンク集も書いたし、判るんですけど、小山三さんの特にひいき と言う訳ではなく、そもそも、小山三さんは、門弟さんですから、幾ら様々な賞を受賞されたり、生き字引でおられたりしていても、中村屋の中では、番頭さんですね。

そんな小山三さんのお役目は、私はたまたま知っていましたし、勘三郎丈の追悼番組で、久しぶりに小山三さんを見て、懐かしく思い出しましたので、日記にしたのですけれど、こんなにたくさんの方が、介護屋のブログに、『中村小山三』キーワードで、おいでになる とは思ってもおらず、ちょっとびっくりいたしました。

27日のアクセス数、半分以上が、小山三さんの関連でおいでになっていたんです。

ああいうその屋号について、跡取りを育て、ご自分は、表に立たず と言う様な立場の方は、時代と共にどの業界にもいなくなりました。
歌舞伎の世界は独特です。
今の時勢に照らして、どんなに才能があっても、伝統芸能養成所みたいなところは、NHKに楽器の方はありますけれど、役者さんのものはありません。
門弟につきたくて、つく方はあるかもしれませんが、基本的には、その家柄に生まれた人でなければ、修行もできなければ、舞台にも立てない世界です。

伝統芸能の世界には、そういう事がありますね。

才能のある家柄でない人たちに門戸を開くべき と言う気もしない事はないのですけれど、何でもかんでも民主主義と言うのもなんだか、違うようにも思います。

家柄に生まれて、違う道筋に進みたくて、例えば、宇宙飛行士になりたくて、大学で数学を収めるとかね、八百屋さんになりたいとかね、そういう事は、その家柄に生まれた以上、物心つく前から、封鎖されているんですね。

歌舞伎なら、歌舞伎を見て、父親がその世界にいる中で、その世界だけで育ちます。
その世界しか見えない事が、その世界の造詣を深めさせるのでしょう。


養子、芸養子 の制度も、まだまだ、現実的には残っていると思いますし。


香川照之さんが、もし、市川猿之助丈とともに生活して、跡取りとして育っていたら。
亀次郎丈が、猿之助の名跡を継ぎましたけれど、本来、香川照之さんが、猿之助の名跡は継いでいるはずです。
市川中車 として、修行に入られましたけれど、実は歌舞伎そのものは、出来る俳優さんでしょう。
でも、名跡の跡取りとして育たなかった と言う事で、いなかったもの と言う扱いにならざるを得ないのでしょう。
先代猿之助丈も、高齢になられ、時代も江戸時代ではありませんから、亀次郎丈が猿之助の名跡を通津と同時に、香川照之さんが、中車として、歌舞伎の世界にも出演できるようにした と言う事なのでしょうかね。

歌舞伎俳優の家柄に生まれ、舞台を踏んだ歌舞伎俳優さんの中には、実質的に歌舞伎を離れた方々が戦後の頃はたくさんおられました。

市川雷蔵さん、市川歌右衛門さん、最近なら、中村錦之介さん、ちょっと毛色が違いますが、銭型平時で大いに売れた、昭和の時代劇スター、大川橋蔵さんなんかもそうですね。

昔は、個人事務所はありませんので、大きな会社に所属することになりました。
松竹とか、東宝とか、東映とか、大映とか。

会社が違う舞台には出られません。様々なしきたりがありました。
その中で、歌舞伎を離れた名優さんは結構いたんです。

後は、女性の方。
どんなに造詣が深くても、相撲取りと、歌舞伎役者は女性はなれません。
片岡仁左衛門丈のお嬢様は、宝塚に行かれました。
勘三郎丈のお姉さまは、新派かな?の女優さんです。

おとこでなければ、歌舞伎は出来ないんですね。
まあ、男性でなければ、出来ない様な体力がいる仕組みになっているので、女性ではちと難しい演目もあるんですけど。

出雲阿国が傾奇踊りを始めた と言われます。
阿国は女性です。

じゃあ、なんで、歌舞伎は男優だけか と言えば、江戸時代、少女歌舞伎の様な物がありましたけれど、だんだん風俗業の様になり、ご禁制になって、その後、若衆歌舞伎に移行しますが、これも、風俗上好ましくないとご禁制になり、野郎歌舞伎になって(いわゆる成人男性しか出演できない形態です。)やっと落ち着いたから です。

とはいえ。

大奥の絵島が、歌舞伎役者との浮気?で、高遠に流されて、そのまま忘れ去られていますし、風俗的な要因は、消し去れなかったのではないかなぁ?と思います。


勘三郎丈も、色々と盛んな方だったようです。


一般家庭の方ならともかく、一芸に秀でた特殊な立場の方には、様々な風習がありますから…
私は自分が男だから かも知れませんが、負の遺産も含めて、歌舞伎が好きです。
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