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プロフィール

鷹山あきら

Author:鷹山あきら
旧自立支援法の介護屋でした。重度知的障害者の方への、地域日常生活支援をしておりました。

本人は先天性心疾患があり、近年、急変。
先天性大動脈弁膜症・弁閉鎖不全・弁狭窄・二尖弁の悪化で、2010年7月に人工弁置換済み。最重度の身体障害者になりました。

ずっと障害者総合支援法の介護屋を続けたいと思いましたが、不能になりました。

妻は精神障害者で、寝たきりに近い状態です。
様々な支援者の方に助けられ、私たち夫婦は何とか生活しています。

2014年1月、やむなく(障害年金だけで生活は出来ません。フルタイムでは私は働くことが不能になりました。)病院の看護助手のパートに切り替えました。2015年1月、老健の通所に切り替え、2016年3月、老健も不能になり、仕事探しに苦慮しています。障害者って、使いにくいのですかね。どこも1年ほどでお役御免になってしまいます。


日々こもごも。色々な雑談を。

LOVEROGからの引越しです。(妻は元SEなのです)



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漫才の話
漫才と、最近のお笑いは違うと思っています。

芸がありません。

年配になりますと、子供の頃を思います。

漫才師、ボードビリアン、コメディアンも、何となく違う感じがしますけど。


ふと、ギャグを思い出して、さて、コンビ名が出ません。

今はインターネットで、簡単に調べられますから、検索してみたら。

星セント、ルイスさんでした。

田園調布にうちが建つ、と言うのですがね。

ビートたけし、紳助、竜介、等が漫才ブームを作りましたが、あの辺迄が、私には限度かな。


一昨日、消えた漫才師、みたいな特集をやってまして。

一時売れて、今は見かけなくなった人達が出ていました。

波田陽区とかね。
長州小力とかね。

その中に、テツ&トモがいました。

数年前、正月に寄席に行きましたら、出ていました。寄席では新人ですから、礼儀正しくしておいででした。

ネタを披露して下さい、と、一昨日のテレビで、リクエストがあり、披露していましてね。

寄席にちゃんと出ているんだ、と感じました。
ギター侍は、寄席には出てないんです。ギター漫才をする方、少ないそうですが、数年前の寄席でも、ギター漫才の方が、ネタにしていましたっけ。


若い方はご存知ないと思いますが。


子供の頃は、寄席のような番組がレギュラーでありまして、夢中で見てました。
獅子てんや、瀬戸わんや

ダブルけんじ

てんぷくトリオ

脱線トリオ

夢路いとし、喜美こいし

牧しんじ

最後の方が、セント、ルイス。


皆さん色々あったようですが、とにかく面白かったです。

四人組の、ちゃんばらトリオと言うのもありました。

♪金も要らなきゃ女も要らぬ、私ゃも少し背が欲しい〜。

てんやわんやは、ボケの方が、法事に行った、と言うと、突っ込みの方が、どうして行ったのか、しつこく聞くのですが。

最終的には、バスと電車と何かと船で行きました、で落ちる、と言うネタを覚えています。


今、活躍中の、元漫才師の方は、てんぷくトリオだった、伊東四郎くらいですかね?

牧しんじ、は、ボードビリアンの印象です。

コメディアンは、ドリフターズが最後でしょうか。クレージーキャッツの方が先輩ですね。

寄席番組も消滅しましたし。

寄席で修行をする人が、漫才師だと思います。

今なら。テツ&トモですね。又、正月に寄席があったら、見に行きたいなあ。


朝起きたら、色々思いだしました。

年代的に、さすがにエンタツ・アチャコ は知りません。
エンタツ・アチャコ、昭和初期ですね。

名人だったそうで、現在の、オール阪神・巨人が、二代目エンタツ・アチャコ襲名に向けて、周囲の方々が大いに動いた時が有ったそうですが…
『畏れ多い』とて、辞退したとか。
エンタツのギャグって、余り定番はない様ですが、『かとちゃん、ぺっ!』ってありましたよね?
ドリフターズの、加藤茶で。
あれ、エンタツのギャグのもじりです。

実物は見た事がないけれど、私が生まれた時はまだ、存命だったと言う人がいます。
榎本健一です。エノケンですね。
ロッパの方は知らないんです。一時、エノケン・ロッパで活動していたと思います。
エノケンの映画も、劇団もあったのですが、フィルムが貴重な時代、ほとんど残っていないそうな。

黒澤明、と言う、世界の巨匠がいましたね。映画監督で。彼が、戦時中から計画して、昭和20年の9月だかに出来あがり、配給しようとしたら、進駐軍の待ったがかかった という映画があるんです。

『虎の尾を踏む男たち』と言います。多分、あちこちにまだ、残っていると思いますが、要するに、歌舞伎の勧進帳です。

弁慶が、大河内伝次郎(古すぎますね。戦前のスターですよ。チャンバラの。)、義経が?市川雷蔵だったかな?(市川雷蔵 元々歌舞伎の人。省きますが、映画界で一世を風靡して、40歳にならずに他界した、風雲児です。)
榎本健一は、原作には出てきませんが、(エノケンを出演させたい為に、その役どころを作ったようです。)地元の百姓で、本物の強力(きょうちょく、ちがいます。ごうりきです。荷物運びですね。今で言うなら、クロネコヤマトみたいなものです。昔は、荷物運びを百姓衆がアルバイト的にしたようです。)になって、義経一行は、全員で、6人?あれ?7人?山伏に姿を変えてどうこう、と言うのが、設定なんですが、強力が一人多い と言う様に作ってあります。

天下の黒澤明のデビュー作なので、どこかで見かけたら、お試しください。
エノケンの凄さが分かる、貴重な映画です。
昭和20年の9月にクランクアップって、どうやって作ったのか、信じられませんけど、単純ながら、良く出来ています。配給は数年先だったようですね。

エノケンは、見た事はなかったですが、実際、私が生まれた時は、存命だったと知りました。

エノケンはね。

漫才師と言うには、ちと趣が違います。
映画をご覧になると判りますが、コメディアン でしょうか…
物凄く身が軽いんです。
舞台狭しと、走り回る様なそういう感じであったようです。

昔のコント55号みたいな感じですかね。
コント55号も、コメディアン的なコンビかと思います。
欽ちゃんとエノケン、良く感じが似ています。
寄席の方ではないですな。
舞台の人でしょうね。
浅草のフランス座(ストリップ劇場でした。初期のビートたけしなんかは、フランス座から始まっている筈です。コメディアンは繋ぎに出ますけれど、登竜門だったらしいです。現在は?無いかもね。)あたりが出発点だったかと思うのですが…


と一晩寝たら、わらわら出てきたので、昔の見たいな~と思いつつ、フィルムが残っていませんのでね…

見られないですね…
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