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プロフィール

鷹山あきら

Author:鷹山あきら
旧自立支援法の介護屋でした。重度知的障害者の方への、地域日常生活支援をしておりました。

本人は先天性心疾患があり、近年、急変。
先天性大動脈弁膜症・弁閉鎖不全・弁狭窄・二尖弁の悪化で、2010年7月に人工弁置換済み。最重度の身体障害者になりました。

ずっと障害者総合支援法の介護屋を続けたいと思いましたが、不能になりました。

妻は精神障害者で、寝たきりに近い状態です。
様々な支援者の方に助けられ、私たち夫婦は何とか生活しています。

2014年1月、やむなく(障害年金だけで生活は出来ません。フルタイムでは私は働くことが不能になりました。)病院の看護助手のパートに切り替えました。2015年1月、老健の通所に切り替え、2016年3月、老健も不能になり、仕事探しに苦慮しています。障害者って、使いにくいのですかね。どこも1年ほどでお役御免になってしまいます。


日々こもごも。色々な雑談を。

LOVEROGからの引越しです。(妻は元SEなのです)



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たらし焼き
皆様、たらし焼きって、ご存じですか?

今川焼きは、ご存じかと思います。太鼓みたいな形のたい焼きの様な生地の中に、あんこ等が入っている、和菓子ですね。

地方により、色々な呼び名があるそうです。

私の今の住まいのあたり、家内の認識では、大判焼き。その他、二重焼き、太鼓焼き、回転焼き、等々。人工衛星焼き、と言う呼び名もあるそうです。


たらし焼きは違うのですよ。

小麦粉、又はメリケン粉、メリケン粉とは、古いタイプの天婦羅粉の事ですが、を、水で溶いて、古くは、ほうろく、私が子供の頃は、フライパンに、なたね油を敷いて、焼き、醤油を塗って、四角い感じに切り分けたもの、です。

小麦粉の場合は、膨らまないので、膨らし粉と称して、重曹を入れました。重曹は、白い煙草ケースくらいの箱に入ったものが、どの家庭にもあったものでした。

私にとっては、子供の頃の、家庭の懐かしいおやつなのです。

母は都会から、私の育った土地に結婚して、やってきたので、たらし焼きは焼けませんでした。小麦粉と水と重曹で、美味しく焼くのは、ちと難しい。

昭和で言うと、40年代、西暦で言うと、70年代頃の話です。

私は、何となく、今でも焼けますが、一人暮しで作る機会もなく、家内と一緒になって四年目ですから、仕事と介護に明け暮れて、自分も倒れたりしていたので、作ることは、ありませんでした。


今はインターネットがありまして、何でも調べられます。

ふと思い付いて、インターネットで調べてみたところ。ヒットしたんです。

ヒットしたのですが、かなり驚きました。

埼玉県に、行田市(ぎょうだし、と読むそうです)に、行田市限定の郷土料理として、現在も残っており、ルーツもはっきりしているそうですが。

現在、行田市に残っている、たらし焼きは、ルーツから変化して、定着したものだそうで、市内には、専門店もあるそうです。

変化したものは、私の知る、たらし焼きではありません。

解説を良く読むと、明治の中頃に、行田市の女性工員さんの為のおやつとして、考案された、とあります。
ルーツですね。

そのルーツの作り方が、私が知る、たらし焼きと、全く同じです。

私が育った土地は、埼玉県とは、非常に離れています。たらし焼きを作ってくれたのは、明治生まれの祖母の世代でした。


ここで、はた!と考えてしまいました。

私は、育った土地の土着の食べ物で、今川焼きの様に、ある程度の各地に、同じ様な食べ物があり、育った土地では、たらし焼き、と呼ばれていた、と信じていました。

どうも、違うようです。

たらし焼きは、名前も、品物も、埼玉県行田市にしか存在しない様子なのです。
埼玉県から遠く離れた、私が育った土地に、ルーツと同じ形で昭和40年代迄は、確実に残っていた、と言う事は。

育った土地の土着の食べ物では無い気がします。真相は、明治生まれの、祖母の世代に聞かないと判りませんが。

私の親類、ご近所に、行田市からお嫁さんで、嫁いできた女性がいるのではないかな、と思います。

故郷の味を、嫁ぎ先で広める、作る、と言うのは、今でもあるでしょう。

育った土地は、農業が主な産業だったと思われますので(養蚕が主流ですが、畑もありました)、労働の合間のおやつ等に、丁度ニーズがあったのかも知れませんね。


行田市から嫁いできた女性がいただろう、と言うのは、まあ、私の勝手な想像ですが、メディアが無かった時代は、そのくらいしか、方法が浮かびません。


そう言えば。

私の親戚筋に当たるうちに、遊びに行き、おやつを貰うと、たらし焼き、でしたが、友人宅で、ご馳走になった覚えが無い気がします。


趣味で、先祖のルーツを調べて遊んでいますが、直系の先祖〜江戸時代最後くらい迄〜には、行田市から嫁いできた女性はいません。

誰だったのでしょう。

ひょっとすると、各地に、こんな形で、小さな飛び火をしたところは、あるかも知れませんね。

たらし焼き、で、検索なさると、行田市のデータがすぐ出ます。ルーツの明治の頃のものから、変化したものです。

埼玉県行田市の近くの方は、最近で言うB級グルメですね、お試し下さい。

私が知る、ルーツのものは、行田市にも残っていないようです。

同様に、私が育った土地でも、明治の世代が居なくなって久しいですから。

今は消えたかも知れません。
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