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プロフィール

鷹山あきら

Author:鷹山あきら
旧自立支援法の介護屋でした。重度知的障害者の方への、地域日常生活支援をしておりました。

本人は先天性心疾患があり、近年、急変。
先天性大動脈弁膜症・弁閉鎖不全・弁狭窄・二尖弁の悪化で、2010年7月に人工弁置換済み。最重度の身体障害者になりました。

ずっと障害者総合支援法の介護屋を続けたいと思いましたが、不能になりました。

妻は精神障害者で、寝たきりに近い状態です。
様々な支援者の方に助けられ、私たち夫婦は何とか生活しています。

2014年1月、やむなく(障害年金だけで生活は出来ません。フルタイムでは私は働くことが不能になりました。)病院の看護助手のパートに切り替えました。2015年1月、老健の通所に切り替え、2016年3月、老健も不能になり、仕事探しに苦慮しています。障害者って、使いにくいのですかね。どこも1年ほどでお役御免になってしまいます。


日々こもごも。色々な雑談を。

LOVEROGからの引越しです。(妻は元SEなのです)



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嵐を呼ぶ男~宝塚 小夜福子さん 訂正など

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小夜福子さんは、こんな方だったようです。
ただ、他界されてから、かなりの年月がたっており、昔の事とて、データが残っていないようですね。

小夜 福子(さよ ふくこ、本名:東郷富美子、旧姓:飯田、1909年(明治42年)3月5日 - 1989年(平成元年)12月29日)は昭和期の元宝塚歌劇団月組主演クラス・月組組長の女優。 静岡県沼津市出身。

芸名は百人一首の参議雅経の「み吉野の 山の秋風 小夜ふけて 古里寒く ころもうつなり」から。


思い出せなかった和歌はやっと判りました。
「ころもうつなり」は、「衣 打つなり」です。

天津乙女さんは、写真がありましたので、貼り付けます。

かなりびっくりしたのは、天津乙女さん、娘役ではありませんでした。
男役です。

「女六代目」の異名を取った と言う事ですから、(六代目尾上菊五郎丈です。現在の…尾上団十郎丈のお父様、海老蔵丈のおじい様、中村勘三郎丈のお父様を、中村しかん丈と言いますが、確か、ご兄弟?従兄弟?ご親戚です。)そのレベルの高さがしのばれます。

妹さんが、雲野かよ子さんと言うそうで、こちらは娘役の方です。

天津乙女さんのデータはこちら

天津乙女(あまつ おとめ、1905年10月9日 - 1980年5月30日)は宝塚歌劇団団員(元月組主演クラス・月組組長)。

最初の東京都出身の劇団員(生徒)で日本舞踊に優れた名手であり、女六代目[1]の異名をとった。

本名:鳥居栄子。愛称:エイコさん。芸名は小倉百人一首の僧正遍昭の「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」(あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ をとめのすがた しばしとどめん)から命名された。

娘役スターだった妹の雲野かよ子の芸名もこの句からとられた。後輩の春日野八千代や神代錦とならんで「宝塚の至宝」と呼ばれた


略歴 [編集]1918年
6月、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。6期生。
10月、『馬の王様』で初舞台を踏む。
1930年5月、藤間流名手になる。
1938年10月 - 1939年3月、第一回ヨーロッパ公演に参加。
1948年9月、歌劇団理事に就任。
1954年11月、兵庫県文化賞受賞。
1955年3月 - 4月、第一回ハワイ公演に参加。
1957年4月 - 5月、第三回ハワイ公演に参加。
1958年11月、紫綬褒章受章。
1959年7月 - 11月、カナダ・アメリカ公演に参加。
1976年4月、勲四等宝冠章受章。
1980年5月30日、在団のまま死去、享年75。谷中霊園に墓があり(位置・甲1号1側。桜通りから3基目、北側)、墓誌は本名「鳥居栄子」名義である。


天津乙女さんは、私は見たことがありません。今の宝塚のスターの方たち、全然及ばないと思います。明治生まれですからね。



そうです!そうです!


春日野八千代さんを忘れていました。
春日野八千代さんは、実は、私、舞台で見た覚えがあります。
勿論、スターは退いて、「専科」と言う、往年のスターや、結婚せずに、ずっと宝塚にいたい方、その実力がある方、が、4組(今は5組あります。)に属さず、ポイント的に大御所出演 みたいに出た部署ですかね。

色々な専科がありました。
今はどうだか、判りませんが。

春日野八千代さん

春日野八千代(かすがの やちよ、1915年11月12日 - )は宝塚歌劇団・専科に所属する男役(劇団名誉理事)。元花組・雪組・星組主演男役クラス。元雪組組長。本名:石井吉子(いしい よしこ)。愛称ヨッちゃん。

兵庫県神戸市出身。戦前、戦中、戦後にかけて素晴らしい作品を残し、端整な美貌から「白薔薇のプリンス」「永遠の二枚目」の異名を取るなど、人気男役スターとして一世を風靡した伝説の二枚目男役。

2010年6月現在、宝塚歌劇団の現役生徒(団員)で最年長である(宝塚歌劇団の歴史上も最年長の生徒である)。

なんと!ご存命です。
劇団の理事だそうです。
凄い人ですね!

宝塚の生徒さん(要するに劇団員さん) は、全員独身です。結婚したら、退団しなくてはいけません。
生涯独身を通された と言う事です。

春日野八千代さん略歴

略歴 1928年宝塚音楽歌劇学校(当時、音楽学校と歌劇團は一体である)に入学、翌1929年「春のをどり」で初舞台。

芸名の「春日野」は琵琶歌の歌詞の一節から、「八千代」は「君が代」からとり命名。同期には葦原邦子、冨士野高嶺(花柳祿春)ら、一期下には神代錦、園井恵子、桜緋紗子らがいる。入団当初娘役だったが身長(当時の日本人女性としては長身である)の問題などがあり早くに男役に転向した。

月組、ダンス専科、月組を経て、1933年に誕生した星組に移動。雪組、花組、雪組を経て、1940年雪組副組長、1945年雪組組長、1949年歌劇団理事に就任し、天津乙女と共に「宝塚の至宝」と呼ばれる。1950年より演劇専科に所属。歌劇団史上、珍しい全組在籍経験者でもある(4組体制時代)。

相手役を演じた娘役としては、糸井しだれ、月丘夢路、深緑夏代、有馬稲子、扇千景、八千草薫、新珠三千代、鳳八千代、浅茅しのぶ、浜木綿子、加茂さくら、梓真弓、上原まり、松本悠里等が挙げられるが、特に、乙羽信子とのコンビはゴールデンコンビと呼ばれる。

淡島千景とは、淡島の現役生徒時代には、共演する機会がなかったが、1997年「アデュー東京宝塚劇場」で初の共演を果たしている。

男役としても活躍した、故里明美、明石照子、寿美花代、淀かほる、那智わたる等も女役として相手役を務めている。

主演作品は多数あるが、1951年初演の「虞美人」の項羽と1952年初演の「源氏物語」の光源氏が最大の当たり役として挙げられる。なお、「源氏物語」の光源氏に対し、伊東深水は「最も源氏らしい源氏」、花柳章太郎は「春日野源氏」、長谷川一夫は「ヨッチャンの源氏には負けた」とそれぞれ評した。

出演作品をみると、見覚えのあるタイトルがいっぱい出てくるのですが…
良く見ると、全部、私が生まれる前です。
???
「華麗なる千拍子」等は、強く心に残っているのですが、戦後?リメイクのを、どなたかの主演で見たのでしょうかね?

でも、春日野八千代さんは、覚えがあります。


水の江瀧子さんは…


宝塚の方ではありませんでした。
SKDです。
SKDは、昭和末期に縮小、遂には消滅したので、大スターと言えば、水の江瀧子さんが有名ですが、以下、実に様々な現在、ご活躍中の女優さんを輩出した少女歌劇団の一つでありました。

宝塚のライバル(宝塚は、宝塚市に本拠地があって、東京の有楽町に東京宝塚劇場があります。)ではなくて、有楽町に以前あった(今は、シネマシティになってます。)日劇の、日劇ダンシングチームがライバルだったかな?

日劇は、「日劇ウエスタンカーニバル」等、様々な戦後の風俗を生み出しました。

ちょっとお色気風だったので、(日劇ダンシングチーム。今思えば、レオタードより、もっと上品?リオのカーニバルみたいな衣装かな)子供はいけませんでした。
ストリップもあったんじゃないでしょうか?
ロカビリーもここで開催されるものが多かったようです。

日劇が、有楽町マリオンになった時には、かなりがっかりしたものです。
大人になったら、一度、日劇ダンシングチームをみてみたかったんです。


たとえばこんな出身者の方がいます。

水の江瀧子 女優。映画プロデューサー。愛称・ターキー。男装の麗人として一世を風靡した。

和田妙子 ダンサー。旧芸名は東路道代。マヌエラ、ミス・マヌエラの名前でも知られる。内藤洋子の伯母。喜多嶋舞の伯祖母にあたる。

並木路子 歌手。「リンゴの唄」が有名。

矢口陽子 女優。旧芸名は若園照美。黒澤明夫人で黒澤久雄・黒澤和子の母。

美空ひばり (女優) 女優。夫は香取栄二。

旭輝子 女優。神田正輝の母。神田沙也加は孫にあたる。

幾野道子 女優。日本映画初のキスシーンを演じた。

月城彰子 女優。歌舞伎役者の十代目岩井半四郎夫人で岩井友見・仁科亜季子・仁科幸子の母。

久世蘭子 宮本亜門の母。

桂木洋子 女優。黛敏郎夫人で、息子は黛りんたろう(平淑恵の夫、演出家)

草笛光子 女優。日本のテレビバラエティータレントの草分け。
淡路恵子 女優。

野添ひとみ 女優。夫は川口浩。

芦川いづみ 女優。

九條今日子 女優。旧芸名は九條映子。寺山修司と婚姻関係にあった。

加藤みどり 声優。「サザエさん」のフグ田サザエ役

倍賞千恵子 女優。夫は小六禮次郎。

倍賞美津子 女優。姉は倍賞千恵子。アントニオ猪木と婚姻関係にあった。

瞳はるか 西武ライオンズ選手で現在同チームコーチの笘篠誠治夫人で子役の笘篠ひとみ、笘篠和馬の母。(笘篠賢治、松本典子夫妻の兄嫁でもある。)

有沙美樹 女優。父は坂上二郎。

有名人のお母さん続出!と言う感じですね。

嵐を呼ぶ男 には、水の江瀧子さんの紹介だろうか と思いますが、芦原いずみさん なんかも出ています。

水の江さんは、裕次郎を可愛がっていたらしいですよ。


SKDは、松竹歌劇団 の略称ですが、3大少女歌劇 というからには、もう一つありました。

OSKです。SKDの大阪版。SKDは東京です。
経営は同じ松竹で、OSKは今もあります。

OSK日本歌劇団(オーエスケーにっぽんかげきだん)は、日本の劇団。宝塚歌劇団・松竹歌劇団(SKD)と並ぶ三大少女歌劇のひとつ。1922年(大正11年)4月、松竹楽劇部として創設され、2003年(平成15年)に一度解散した後、その伝統を引き継いで劇団員有志により再結成された。

OSKとは、以前の劇団名であった「大阪松竹歌劇団」(Osaka Shochiku Kagekidan) の略称。


写真は、左から

水の江瀧子さん


天津乙女さん

春日野八千代さん


です。

小夜福子さんの写真がないのが、残念です。


あ。こんな記事は発見!

 
  ☆嵐を呼ぶ男【1957年日活】  
  [原作・脚本・監督]井上梅次 [脚本]西島大 
  [出演者]石原裕次郎、北原三枝、金子信雄、芦川いづみ、白木マリ、青山恭二、小夜福子、笈田敏夫、岡田真澄、市村俊幸
  実兄、石原慎太郎の小説を映画化した「太陽の季節」(1956)でデビューした石原裕次郎は、中平康の「狂った果実」(1956)や田坂具
隆の「乳母車」(1956)など新鋭、ベテラン監督の話題作に出演し、着実にスターの道を歩み始めた。港町を舞台にした「俺は待ってるぜ」
(1957、蔵原惟繕監督)では、<ここではないどこか>を求める孤独な青年を甘い感情を交えて演じ、自らのイメージをスクリーン上に
描き出した。
  また、同名の主題歌もヒットさせ、歌う映画スターとしての出発とした。本作は、その大スター、石原裕次郎のイメージを決定的にした
記念碑的な作品である。1958年の正月映画として公開され、総配収3億5600万円(当時の平均入場料62円)を超える大ヒットとなり、
1954年に製作を開始した日活のその後を決定づけた。監督の井上梅次は新東宝からの移籍組だが、裕次郎が指を負傷してドラムを叩
くことができず、とっさにマイクを握って歌い始めるというツボを押さえた演出で観客を楽しませ、この一代スターの誕生を導き出した。








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