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プロフィール

鷹山あきら

Author:鷹山あきら
旧自立支援法の介護屋でした。重度知的障害者の方への、地域日常生活支援をしておりました。

本人は先天性心疾患があり、近年、急変。
先天性大動脈弁膜症・弁閉鎖不全・弁狭窄・二尖弁の悪化で、2010年7月に人工弁置換済み。最重度の身体障害者になりました。

ずっと障害者総合支援法の介護屋を続けたいと思いましたが、不能になりました。

妻は精神障害者で、寝たきりに近い状態です。
様々な支援者の方に助けられ、私たち夫婦は何とか生活しています。

2014年1月、やむなく(障害年金だけで生活は出来ません。フルタイムでは私は働くことが不能になりました。)病院の看護助手のパートに切り替えました。2015年1月、老健の通所に切り替え、2016年3月、老健も不能になり、仕事探しに苦慮しています。障害者って、使いにくいのですかね。どこも1年ほどでお役御免になってしまいます。


日々こもごも。色々な雑談を。

LOVEROGからの引越しです。(妻は元SEなのです)



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ダウン症の子をもって
先日ちょっとだけ書きましたが、かなり古い時代の当事者の親御さんが書いた手記があります。

「ダウン症の子をもって」
正村公宏著
新潮文庫出版
ISBN4‐10‐123331‐4
1983年初版(当時はハードカバーだったそうです。これは文庫版)
今幾らか知りませんが、私が購入した2000年頃の値段は400円でした。

本屋さんの店頭にあるかどうか、ちょっとわかりませんが、注文すれば手に入るのではないか?と思います。

息子さんがダウン症候群の当事者さんです。いわゆる重度の方。1965年生まれのようです。現在は46歳になられますね。

丁度GHの年配の利用者の方と同世代です。
当時、ダウン症候群は蒙古症と呼ばれ、心臓に障害を伴う事が多いことから、この著者の息子さんも「一年は生きないでしょう」と言われたそうです。
色々エピソードを読んでいくと、当時は医者も診断を下すだけで、ではどうやって育てていくか?等眼中になかったことが分かります。
心臓の権威のある大きな大学病院での診断の事が出てくるのですが、(イニシアルになっていますが、どこの病院だか、私には分かります。)そこでも「一年は生きないでしょう」と言われて終わっています。
親御さんは手探りで育ててこられた訳です。

就学時の様子なども断片的ですが、分かります。
当時は障害があっても、普通学級へ機械的に就学手続きをするように案内が来ただけだったようです。
養護学校はかなり障害の軽い子どもさんしか入れず、重いお子さんは断る事が出来たようです。
著者の息子さんも、児童学園(今も児童学園はありますか?私は知りません。余り聞いた事がないので、廃止になっているのかな?)に入っています。
養護学校は学校ですが、児童学園は福祉施設との事。つまり学歴はつかないんですね。障害のある方といえども、将来、就業する事も考えられます。養護学級といえども教育が行われます。机の上の勉強が多少はあります。その機会が保障されていなかったんですね。たかが50年くらい前の日本では。

まあ、机の上の勉強が、障害を持たれた方の将来に役に立つかどうか は私は懐疑的ですけれど。
机の上の勉強だけが人生ではありません。
GHのワンピースさんの保護者の方は、机の上の勉強に近い事を獲得させたいようですが、私たちはワンピースさんに獲得してもらいたい事は別にあります。人生をヒトとして謳歌し、かつ、責任を果たすこと でしょうか…

当時は障害のある子供さんも、一般の学校制度で受け入れようという制度にはなっていなかったと著作にはあります。修学を促す書類は来るのですが、では普通の小学校に就学させようとすると、受け入れてもらえないのです。で、文句を言う先がない。仕方ないので、児童学園にと思っても、彼の場合は何年も児童学園の方で、断ったそうです。段階的に少しずつの通園が認められるには長い時間がかかったと書かれています。

どうもね。
私が著作を読むところでは、現在で言うところの「2度」程度の方ではないかな?と思います。障害う程度区分をつけると、私は役人じゃありませんから難しいですが、ご家庭の療育の成果もあって、「4」か「5」くらいかなぁ?たぶん、行動援護は親御さんが希望しない限りは特につけなくて良い様子がうかがえます。

うちの利用者と大体(というのは、人はそれぞれなので、非常に難しいのですが。)同じ程度じゃないかと感じられます。

養護学校にも受け入れて貰えなかった著者の息子さんは、児童学園にやっとの事で入ります。

それから40歳程度までは、自宅で暮らし、親御さんが面倒を見て、昼間は児童学園から派生した、成人の障害を持った方の為の通所施設に通っている と言う事が、本著とあとがきから分かります。

うちの利用者とほとんど同じです。

1979年(昭和58年だそうです。かなりびっくりしました。こんなに最近まで障害を持った子どもさんが養護学級へも入れなかったなんて!私、この頃、すでに中学生じゃないか?と思います。)に初めて、学校制度が改定になり、全ての障害児を養護学級に受け入れる事が義務付けられたのだそうです。いわゆる全員就学の始まりです。GHの利用者の方も、全員就学のちょっと前だったよね と保護者の方が良く話をされます。

ちょっとうちの利用者の話に戻りまして…

のんびりさんは、普通小学校に1年生か2年生の時、就学しています。なので、ひらがなは読み書きできます。怪しいですけどね。その後養護学校です。
殿様はどうも最初から養護学校らしい。

この二人は子供のころは障害は比較的軽めだったのです。重度は重度なんですが、現在の手帳で言うところの2~3程度。のんびりさんが3だったのを知っています。殿様は、のんびりさんよりも、軽かった。だから、3の筈です。殿様は青年期にいわゆるレベルダウンをして、2になりました。現在の障害程度区分は5です。(度数は2ですよ。2つあります。手帳の度数と、障害程度区分と。障害程度区分が5です。)
のんびりさんは、手帳が3から2になり、障害程度区分は現在は4です。

どうも年齢とともに落ちて行く方もあるようです。
のんびりさんと殿様はダウン症候群なのです。
コーヒーさんは一応自閉症。見るとちょっと典型的な自閉症とは感じが違うのですが、何か名前を付けるとすれば、やっぱり自閉症とつけるしかないかなぁ?
ワンピースさんは典型的な自閉症ですね。



ここから先は私の持論です。

本著の著者の息子さんは、40歳程度までは自宅に暮らした事が推察されます。GHの利用者の方は、同じころ、親御さんたちが切羽詰まって(親御さんの老齢化です。)施設に入れたくない とGHを考え始めました。その当時の事は私は当法人に職を得ていないので良くは知りませんが、3年から5年ほどかけて、お泊まり訓練などをして、移行したようです。GHが開設されて、今年の12月で丸4年ですから、ええと?今年は2009年ですね?2005年の12月からGHに移行した訳です。

当法人で最初のGH(開設当時はケアホームとグループホームの区別がなく、全部グループホームでした。法的に。すでに自立支援法は始まっていた筈ですが、一番最初の3年間だったと思います。私は措置の時代はほんの少ししか知らないのですが、支援費の時代は知っています。1999年の12月からこの仕事をしていますが、その当時はまだ確か措置でした。2000年の4月から支援費だったと思うのですが、合ってます?)はこうして開設されたのです。
2005年の夏に私は当法人を知りました。
新しいグループホームの職員を募集している と言う情報を、職安で見つけたのです。
前職は実は老人保健施設でした。常勤の仕事がなくて、仕方なく生活の為に高齢者福祉の仕事を1年して、どうにもならなくて、転職を志し、1年かけて今の法人の求人を見つけた頃でした。
幸いにして、11月になんとか採用になり、その12月にグループホームが開設された訳です。

考えれば、当時は当法人には常勤職員さんは一人しかおらず、初めてのグループホームですし、非常勤さんも少なくて、NPO法人になって3年目、他に非常勤、常勤になりたい人はいたと思うのですが、全く外部からの私に初めて出来るグループホームを任せるというのは、ものすごい英断だと思いますよ。でも、何とかオープンしてしまいました。

で、せっぱつまったご家族の熱意が当時のグループホームを作った訳ですが、今、この著者の息子さんはどうしておられるのかな?と良く思います。
著作にも出てきますが、大人になると児童学園では生活の場所がありません。住むところと介護する人がいないんです。親は老齢化していきます。普通は親の方が先に居なくなりますね。子どもさんは路頭に迷うとどの親御さんも考えます。そうなると、へき地の入所施設かコロニーに移されていくという事が非常に多かったのです。今でもその傾向は変わっていません。

最近でこそ、まあまあグループホーム、ケアホームは出来てきましたけれど、当市内でもケアホーム、グループホームに住んでおられる当事者の方は100人はいません。数百人に1人くらいの割合で、何らかの障害(全ての障害を含めて の事です。)を持った方がいるという説もあります。50000人の市なら500人ですか?うちの市は50000人よりははるかに人口があります。そその当市で100人はいないでしょうというデータですから、そのほかの方は、入所施設か自宅にいる訳です。

親御さんが本人の介護をできなくなったら、兄弟姉妹がすれば良いという考えもなくはありません。そういうご家庭もあります。親戚の方がというケースもあります。ワンピースさんは両親はすでにいませんから、いわゆる自宅で本人の介護を週末にするのは、伯母さまです。この伯母さまは、ご自分のご両親も近所に住んでいて、遠からぬ将来介護が待っています。一人で3人の家族の介護は無理です。伯母さまの人生なくなってしまいます。どうも伯母さまは独身みたいなんですよ。人の介護で終わる人生ってなんでしょう?

としますと、障害のある方でも「自立」をしてもらう必要があるのです。
これは介護する人の面倒を開放する為ではありません。本人さんの人生、本人さんの自己確立のためです。本人には本人の人生があります。本人自身が切り開いていく、自分だけの人生があるのです。

この著作の方の息子さんと同年代のうちの利用者ですが、息子さんも、うちの利用者もかなり年配になるまで、いわゆるいわゆる自立が少なかった、またはなかった訳です。
ここで私が書いている「自立」はいわゆる身辺自立、生活自立ではありません。心の自立です。親がいなくては安定した心で生活できない、親依存の生活から、本人が必要な支援を受ければいきいきと自分の人生を切り開いていける と言う意味での自立です。

うちの利用者、かなりその辺の自立は出来てきましたが、残念ながら、少々遅きに失した感はあります。身辺自立などは実はどうでも良いのです。私たち、何もかも自分だけで生活していますか?社会があり、人間関係があり、その中で支え、支えられ、生きています。障害のある方も同様です。

ワンピースさんは若いので、養護学校の教育がかなりしっかりしています。彼には少し違った人生を引き出してやれるのではないか?と思います。
他の年配の方たちにも、その方にふさわしい、今からで出来るその方なりのより良い人生の為に、仕事をしていきたいなと思うのです。

この著作は裏表紙の書き込みによれば、「人の持ちうる深い人間性を、胸に問う、感動のロングセラー」とあるのですが、それだけでない、障害のある方の人生にとっての深い闇の部分もはからずも映し出しています。

それは「障害者はこんなに差別されている」と言う視点から書かれている訳ではなく、建設的な豊かな当事者の方の毎日をいきいきと書いている中でおのずと浮かびあがってくるものなのです。理想や理念では解決できない深くて先の見えない何か がそこにはあります。

初めてこの著作を読んだ時は、私も単純に感動しちゃったものなのですが、今読むと、様々な歴史、様々などうにもならない問題が垣間見られて、結構、考えさせられる一冊です。

内容は手記です。
難しい理論、理想論の本じゃありません。
著作の息子さんと著者であるお父さん、それからお母さん、が日々生活している様子が描き出されています。この仕事の初心者の方にも、かなり長い方にもそれぞれに読み方があるのではないかなぁ?と私なんかは思います。

よろしければご一読下さい。
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