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プロフィール

鷹山あきら

Author:鷹山あきら
旧自立支援法の介護屋でした。重度知的障害者の方への、地域日常生活支援をしておりました。

本人は先天性心疾患があり、近年、急変。
先天性大動脈弁膜症・弁閉鎖不全・弁狭窄・二尖弁の悪化で、2010年7月に人工弁置換済み。最重度の身体障害者になりました。

ずっと障害者総合支援法の介護屋を続けたいと思いましたが、不能になりました。

妻は精神障害者で、寝たきりに近い状態です。
様々な支援者の方に助けられ、私たち夫婦は何とか生活しています。

2014年1月、やむなく(障害年金だけで生活は出来ません。フルタイムでは私は働くことが不能になりました。)病院の看護助手のパートに切り替えました。2015年1月、老健の通所に切り替え、2016年3月、老健も不能になり、仕事探しに苦慮しています。障害者って、使いにくいのですかね。どこも1年ほどでお役御免になってしまいます。


日々こもごも。色々な雑談を。

LOVEROGからの引越しです。(妻は元SEなのです)



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ファミリーレストランにて雑感
先日PHSを洗濯してしまい、データ復帰に出していて、やっとのことで、PHS屋さんにデータを拾ってもらいました。いいお値段でした。もう洗濯はしないようにします。仕事の電話帳がきれいさっぱり消えてしまうとかなり困るので、預けてから10日間以上経ったのですけれど、その間にせっせと人海戦力で電話帳を作っていました。借り物のPHSに。

無事だったのですが、ついでに新しい方の電話番号なども借り物に入れてあって、それはしょうがないから、家内の携帯電話にメールで送らせてもらい、あとで送り返してもらって、登録します。

ふう。

で、今日は明けでそのPHSを取りに行きました。
いろいろあり、夜勤明けはやっぱりふらふらです。特に土曜日は3日泊まった後ですから、(月、水、金に泊まります。)へろへろです。

取りに行って、お金を払ってPHSを受け取って(ああ。本体は駄目でした。新しいのと交換になりました。データが生きていたのが不思議です。PHS屋さん、凄いですね。)お昼を墜落寸前でファミリーレストランで食べました。明けで調子悪いですから、何かおなかに入れておかないとますます消耗しちゃうので。自宅に帰って材料一から洗って作るなんて元気はありません。家内も忙しいので、買い物からしないと食事は作れません。割り切っています。お互いに。じゃないと平穏に過ごせないしね。

と言う訳で、ファミリーレストランで食事をしていて、「キャー!キャ!」みたいな声に気付きました。隣の席には子供さんがおられました。右隣。声は左の奥の方からします。左の奥の方には少し年配の女性と娘さん?かな?と思われる方のお二人連れがおられました。良く見ると若い女性の方は荷物をリュックサックにしています。

もしかしたら?

どうも、その若い女性が「キャ!」と言ったようなので、軽度の知的障害か、発達障害のある方だったのかも知れません。わかりませんが・・・伺ってみる訳にも参りませんし、伺ってどうする?と言うのもありますし。

「キャ!」が迷惑でした という話ではなくて、障害者の方って(どんな障害の方でも)日常的にどこにでもおられますし、何でもしていますし、特別な存在ではないのですよね。
私はこの仕事を始めてからやっとその事に気付いたような勘の悪い支援者ですけれど、普通の方と言うか、一般の方?健常者の方?って、気づいておられるのでしょうかね?当たり前に社会にいる人々の中のお一人にすぎないという事を。

特別な人だという感性の方はたくさんおられると思います。当たり前の一人の人間だという感性の方は少し少ないかも知れませんね。

当地は何故か(PHS屋さんは少し先の駅にあります。ここはド田舎ですので。)やたらに自転車と車いすと障害者の方が目立つんです。どこにもかしこにもいます。私がこの仕事をしているから分かるんじゃなくて、明らかに多いんです。何ででしょう?

支援態勢がしっかりしている自治体はすぐそばにあります。たぶん、障害者支援では日本で有数の自治体でしょう。そことはここは、レベルが違って、ちょっと下がります。なのに、ものすごくたくさんの障害を持った方々があちこちにおいでになります。ちょっと外に出れば必ずいる。これも結構珍しいかも知れません。

一つには大きな療育病院があるという事もあるかな?二つにはその模範的な自治体は地価が高いので、そのそば という意味で、当地に住む方が多いのかも知れません。
あとは、それほどとは思わないけれど、いわゆる作業所の類、共同生活介護の類、まあまあ多い方でしょう。みんな弱小のNPOか、自治体主導のものですけれど。

食事をしながら、何となくその親子さんらしき女性お二人を見ていて、(その自治体は模範的な日本で有数の自治体です。その自治体の大きな駅の駅前のファミリーレストランでした。)意外に、この駅の近くって、当事者さんに会わないよねぇ?と改めて思ったりして、食事を済ませ、とにかく帰ってまいりました。

寝ますです。

私が子供の頃、同級生のお姉さんに今思えば知的障害を重度に持った方がありました。学校に来ていなかったので、養護学校?(うーん。全員就学の時代だったかどうか、私にはわかりません。昭和40年代の話ですが。)に行っていたのかなぁ?
私のクラスにも、今思えば、軽度の知的障害か発達障害があったのかも知れないと思う同級生がいました。

あの頃、私たちは当たり前に接していたのか、何も知らなかったのか、今となると区別がつきません。当たり前に接していた気はしますが、障害と言うハンディキャップを持った人がいて、その人たちも普通に暮らしているのだ という理解はなかった気がします。当時からどういう当たり前の感性を皆が持っていれば、(私も持っていませんでした。)自立支援法がごちゃごちゃしたりしなかったのかも知れませんね。

だいぶ話が飛躍しますが、同じ小学校にいわゆるハーフの男の子がいました。当時「混血」という言葉を使っていた事を思い出します。

やっぱり当たり前に普通に暮らしている人たちなのだ という理解は私も含めてなかったのかも知れませんね。養護学校知りませんし、勿論特別支援学級もなかったように思います。
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