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プロフィール

鷹山あきら

Author:鷹山あきら
旧自立支援法の介護屋でした。重度知的障害者の方への、地域日常生活支援をしておりました。

本人は先天性心疾患があり、近年、急変。
先天性大動脈弁膜症・弁閉鎖不全・弁狭窄・二尖弁の悪化で、2010年7月に人工弁置換済み。最重度の身体障害者になりました。

ずっと障害者総合支援法の介護屋を続けたいと思いましたが、不能になりました。

妻は精神障害者で、寝たきりに近い状態です。
様々な支援者の方に助けられ、私たち夫婦は何とか生活しています。

2014年1月、やむなく(障害年金だけで生活は出来ません。フルタイムでは私は働くことが不能になりました。)病院の看護助手のパートに切り替えました。2015年1月、老健の通所に切り替え、2016年3月、老健も不能になり、仕事探しに苦慮しています。障害者って、使いにくいのですかね。どこも1年ほどでお役御免になってしまいます。


日々こもごも。色々な雑談を。

LOVEROGからの引越しです。(妻は元SEなのです)



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春本番
春も本番ですね。
花粉が飛んで困ります・・・

さておき。
そろそろお散歩にも良い季節になって来ました。
冬はどうしても基礎代謝が落ちますし、運動もしないし、食べる量は減らないので、一番困る時期でもあります。

今日は散歩に遠くまで行こうかなぁ・・・

先日来の新人さんが今日も研修に来るので、ある程度教えねばなりませんし、お散歩だけと言うわけには行かないのですけれど。

最近は利用者も大分生活に慣れ、各々好きなことをするなどGHでのリズムが出てきました。
テレビ番組などもある程度好きなものがわかり、定期的にそれを見るようにしている人もあります。
本人はチャンネル選びとか、テレビのスイッチを入れるとかの能力は難しいので、こちらがその時間にセッティングする訳ですけど。

なんだかんだやっているうちに、利用者が私の顔を見ると、パ!っと笑顔を見せてくれたりする時が一番嬉しいですね。親御さんと一緒の時に出会ったりすると、パ!っと笑顔が出て、次に照れくさそうな様子だったり。

最終的には彼らの終の棲家はGHになる筈ですが、まだ親御さんは80歳を超えているとは言え元気です。
GHに入った事で、今までの濃密な親子関係や、家庭の価値観から、他人がサポートに入る生活になり、本人さんもドンドン変わってきていますから、家庭での納得もありますけれど、不安もあり、種々交錯するようです。
家庭で40年教えてきた事が「崩れている」と指摘されることもあります。
私たちプロから言わせれば、「崩れた」事は、大して本人さんに意味の無いことであり、又、家庭でうるさく言っていても本人さんの身についていないことだから、消滅しただけなのですが、家庭の思いとは我々プロとは又別のものであり、別の意味で大切なものでもあります。

GHに入れてほっとして、本当は1年365日一応はGHで暮らす前提で始まったものが、ついつい家庭で過ごさせたくなる親御さんが続出です。
GHで整ってきた色々なことを家庭に持ち帰り、家庭での生活で元の木阿弥になって月曜日にGHにやってくる と言う感じでもあります。
けれども、親御さんと本人さんが過ごせる時間は残りわずかです。
本人さんたちには長い長い自分で暮らさねばならない人生があります。それを思いますと、勿論家庭に戻したがる親御さんの子供である本人さんは色々な可能性が阻まれていますが、それをどうこうするものでも無いのだろうな と最近は思っています。

家庭での「自立」の概念と本人にとっての「自立」は全く違うものであったりもするのです。

今、80歳を越えようとしている親御さんの子供である本人さんたちは、まだまだ福祉サービスもほとんどなく、生まれた病院では「育ちません。」「生き延びる可能性は在りません」などと言われてきた世代の方々です。
ある時期までは「20歳まで生きる事はまず無理ですので、承知して置いてください」と言われて来た方々です。
そういう子供さんであった本人さんに対する親御さんの思いは40年分ある訳で、現代医学では障害は体質に近いもの とされていますが、そんな今時の奇麗事を言って済む方々ではないことは、私にも分かります。

障害は個性だ と言う主張がありますが、今の利用者の親御さんは、障害は絶対に治らないし、ほとんど生き延びられないし、生まれなかったほうが本人には良かった と言われていた時代に、必死で我子を育ててきた人たちですから・・・・




関係ありませんが、最後にちょっと別の事。

しょうがい者と書く とか、障碍者と書く とか、色々言葉のひねくり回しがあるようですね。
時々、「何故しょうがい者と書かないか?」「障碍者と書かないか?」と言う方に出会います。

私は障害者と表現しますけど、それは意味はありません。
昔からの表記にしたがっているだけです。
害とは「本人達が社会の害悪」と言う意味ではないでしょう?
何らかの「影響」があって、「障害」の「害」が出るわけですが、それを「害ではない。何々の影響だ」と言う様なことを名詞一つに丹精にこめる必要は無いからです。

本人さんたちが意識して「私はしょうがい者」「自分は障碍を持っている」などと表現される方で、私がその方に文字で書いて示すことがあれば、その方の表記に従いますが、私は昨今の「しょうがい者」「障碍者」のブームには辟易しています。

言葉を弄ると彼らへの意識が高まる とか、行政が変わると言う事ならば喜んでブームに乗りますが、何も変わらないですから・・・・・

ハンセン氏病の方々の時は、国の表記が変わりました。表記変更に伴い、強制収用が廃止されました。
本人さんたちも「らい」と言う表記を止めてくれと強く強く運動しました。
その結果である「ハンセン氏病」には社会を変えた実績があります。
ですから、私もらい病とは言いません。
ハンセン氏病と言います。

残念ながら、障害の分野、特に知的障害の分野では、理想論は現実とかけ離れている感があります。

であればこそ。

言葉遊びをしているよりは、彼らと地域に出る、一緒に暮らす、彼らの人生の質がよりよくなるようにプロとして仕事をする そういう立場で居たいと思っています。

私はプロです。
プロだから、プロにしか出来ないことをしたいと考えています。
だから、言葉遊びはしません。

しょうがい者、障碍者 と書かない事で気になる方もおいでかとは思いますが、私は今のところ表記を変えるつもりは在りません。ご了解いただければ幸いです。
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